エストニア共和国より愛をこめて

北欧に位置する人口130万ほどの小国・エストニアに暮らす大学生が、留学・観光・社会・市民生活などの話題を中心にさまざまな情報をお届けします。

はたして日本国民に大規模な移民受け入れを決断する覚悟があるのだろうか?


上野千鶴子の意見には一理も二理もある

 

中日新聞に掲載された上野千鶴子へのインタビュー記事について、これまでに2本の記事を書きました。

 

www.from-estonia-with-love.net

 

<2017年2月22日追記>

上記の記事中で、上野千鶴子氏へのインタビュー記事に関する訂正をしていますのでご確認ください。当ブログにおいては上野氏自身のブログでの説明が上野氏の真意であるとして論を進めます。

 

www.from-estonia-with-love.net

 

 大意としては、

  • 上野の「日本が大規模に移民を受け入れるのは無理。日本国民にはその度量がないから」という考えは、ひとつの意見として筋が通っている。内容にも"概ね"同意。
  • 上野とわたしの相違点としては、わたしの場合は「大規模な移民受け入れをやるのならば、移民を日本国のメンバーとして対等に扱う、彼らに日本国民としてのフルメンバーシップを付与するのが大前提」「それがまったく無理、もしくは最初からするつもりがないのならば、新たな搾取体制を生むだけなので、移民受け入れ自体をすべきでない」と、ひとつ条件を差し挟んでいる。
  • 上野の論に加えて、わたしはさらに「そもそも、衰亡に向かうばかりの日本への移住をわざわざ希望する人が、『急激な人口減少の補填要員となる規模で』はたして存在するのか」という疑問を投じている。
  • 大規模な移民受け入れが無理ならば、「国全体でひたすら貧しくなることは不可避だが、その中でもあきらめずに最善手を探る」という上野案以外に方法がないと考える。

というのがわたしの意見です。さらに重要な部分のみを抽出するなら、

「大規模に受け入れた移民を日本国民と同等のメンバーとして迎えることが条件」

「そうじゃなかったらただの外国人奴隷の輸入なので、最初から認めるな」

となります。

この記事については「移住連」から上野宛に公開質問状が届いており、上野がそれに回答する形で、紙幅の制約があったであろう中日新聞記事を補完しています。こちらを一読して、わたしはますます「上野の意見は理屈として真っ当である」との感想を強めました。

 

wan.or.jp

 

日本の大規模移民受け入れが「一種の外国人奴隷輸入計画」になる可能性

 

わたしがしつこく「移民に対して日本国民としてのフルメンバーシップを」と繰り返している理由は、「いまの政権や経団連が想定している大規模移民受け入れ制度が、そういった形のものではないと思われる」からです。

政府や財界が検討しているのは、「家事労働者の受け入れ計画」だとか「介護分野での活躍を」とか「単純労働についても受け入れを」といったような議論から容易に推し量れるように、「外国人を単に新たな労働力としてしか考えていない」「人材不足分野の補填要員としてしか考えていない」形での大規模移民受け入れです。「日本人がやりたがらないことを安い労働力にやってもらおう」という考えが優先していて、「日本国をいっしょに作っていく新たなメンバーを外国から迎えよう」という発想は感じられません。

したがって、いまの自公政権の盤石ぶりから見るに、今後導入される可能性の高い大規模移民受け入れ政策は「移住外国人を被搾取対象とみなす移民受け入れ」、最悪の場合「一種の外国人奴隷輸入計画」といった性格を持つものになりかねないのではないでしょうか。

政財界の考える大規模移民受け入れ案は、おそらく近隣アジア諸国が移民を送り出す側になることを想定しているんでしょうが、場合によっては「大日本帝国2.0」みたいな話にもなりえるんじゃないですか。かつては日本が海外領土の拡大をもくろみましたが、こんどはアジア諸国から人を連れてきて「一般の日本国民より下の階級の労働者」として、日本人がやりたがらない低賃金労働をやってもらおうというわけですから。

そもそも「大規模な移民受け入れ」の根底にあるのが「日本政府の数十年にわたる失政のせいでついに人口規模を保てなくなってしまったので、外国から人を連れてきて国家の延命をはかろう」という発想ですから、グローバル化の側面がありながら、当然ナショナリズムにも基づくものなわけです。

また、この点はわたしが先に挙げた「衰亡に向かう日本への移住希望者が『急激な人口減少の補填要員となる規模で』存在するのかどうか」という疑問にも関わってきます。「新しい日本国のメンバー」ではなく「人手不足を補う労働力」として迎えるという態度ならば、なおさら移民する側のメリットがないのですから、来てくれる人の数も減るでしょう。

 

日本国民に「新しいメンバーに対して大きく譲歩する」覚悟が問われる

 

「そうはいっても、日本はすでに多文化共生社会に突入しているし、ある程度の成功を収めているでしょう」という見方があります。

たしかに大都市の飲食店やコンビニエンスストアでは外国人のアルバイトが活躍し、多くの地方工業都市外国人労働者の力がなければ成り立たなくなっています。日本社会は、すでに多くを移民によって支えられているというのが現実です。

しかし、この「ある程度の成功」は、あくまで「外国人労働者を日本国のメンバーとして対等に扱うというわけではない」ことを前提とした「成功」ではないでしょうか。「日本人がやりたがらない低賃金の仕事を真面目にやってくれていてありがたい」からある程度歓迎しているけれど、「彼らを日本国のメンバーとして対等に扱う」となると、それはちょっと話が違う、という意見の人も一定数いるのではないですか。

「受け入れた移民を、日本国のメンバーとして対等に扱う」というのはどういうことでしょうか。それは「日本国籍を付与し、参政権を含めたフルメンバーシップを持つ仲間として、従来の日本国民と対等の存在として迎える」ということです。これってそんなに容易なことではないと思いますよ。日本社会のあらゆる面を改造していかなくてはならないわけですから。

山ほどある課題のなかから一つだけ例をとってみるとすると、まずは「"言語の壁"をどう克服するのか」という問題があります。外国から人を大量に受け入れるわけですから、「公用語をどうするのか」「多言語政策をとるとすれば、どの言語を採用するのか」という議論が避けられないのです。

  • 国会や市町村議会は何語で行うのか。英語に統一するのか、同時通訳を置いて日・英・中・スペイン語といった多言語でやるのがいいか。
  • 学校教育は何語で行うのか。一つの学校で複数言語の授業をやるのか、それとも第一言語で学校を分けるのか。多言語に対応した教員をどうやって養成するのか。
  • 公立図書館には何か国語の本を置けばいいのか。
  • NHKは何か国語で放送すればいいのか。

言語の問題ひとつとってもこれだけ出てくるわけです。移民受け入れに賛成している人の中にも、

「こういう問題は想定していなかった。とうぜん日本に移民する側に日本語を勉強してもらうものだと、無意識のうちに考えていた」

「自分が新たに外国語を覚えなくてはならない可能性は考えていなかった」

という人が少なからずいるんじゃないでしょうか。「日本にわたって来る側が、日本に従来から住んでいる国民に対して譲歩するものだ、それが当然だ」という前提で移民受け入れを考えている人が、結構いるんじゃないですか。

それは「彼らを日本国の新しいメンバーとして対等に迎える」ことを最初から否定していることにほかなりません。「大規模に移民を受け入れる」ということは、従来の日本国民の側が大幅に譲歩をする、日本社会を新しいメンバーにあわせて、長い時間をかけて大改造することが必要であり、その覚悟が日本国民に問われることになるわけです。

 

まとめ

 

最後に、今回書いたことを踏まえて、もう一度わたしの主張をまとめます。

  • 日本が大規模に移民を受け入れるならば、移民を「日本国の新しいメンバー」として、従来から住む日本国民と対等の存在として迎えるべきだ。
  • それがまったく無理、もしくは最初からやる気がないのならば、大規模な移民受け入れ自体を断念するべきだ。なぜならその場合には国内に新しい被搾取階級が生まれてしまう可能性が高いからだ。
  • 大規模な移民受け入れをあきらめる場合、上野の言うように「日本は経済的に衰亡していくしかないので、その中でもあきらめずに再分配するモデルを探る」方法しか残されていない。

というわけで、日本国の存亡をかけた課題は「対等な仲間を迎える制度としての大規模な移民受け入れ」or 「みんな平等に貧しく」の二者択一にならなければならないはずなのに、現実味を帯びているのが「国内に新たな被搾取階級を作る」という人道的・倫理的に非常にまずい案になってしまっていて、リベラル派ですらそれに乗っかりかねない危険性を感じたので、一連の記事を書いてみました。上野の提言と同じく議論の材料にしてもらえればと思います。