エストニア共和国より愛をこめて

北欧に位置する人口130万ほどの小国・エストニアに暮らす大学生が、留学・観光・社会・市民生活などの話題を中心にさまざまな情報をお届けします。

これから世界的な移民の争奪戦が始まる

移民受け入れは「買い手市場」なのか?

日本の人口減少を食い止めるための「大規模な移民受け入れ政策」が、おそらくそう遠くない未来に本格的に着手されるだろうとわたしは予想しています。

いくら現政権が保守的で排外主義的であろうが、「日本の出生率がこのままのペースで推移するなら、急激な人口減少は不可避であり、日本の経済規模は大幅に縮小する」ということは理解していると思います。在特会ネトウヨは馬鹿だから「日本が滅亡してもかまわないから外国人を入れるな」と主張するでしょうが、政財官界はそこまで馬鹿ではないので、「開かれた国にしないとこのまま衰亡するだけだ」ということは当然よくわかっているはずです。したがって、日本がいくら保守的な国であろうが、これからは(排外的な人たちにとっては)『やむを得ず』大規模に移民を受け入れる方向に舵を切るだろうなというのが個人的な予測です。

内閣府の報告によると、日本の総人口は「2060年には8,674万人」にまで減少すると推計されているとのことです。(内閣府平成28年版高齢社会白書(全体版)』)「急激な人口減少の補填要員となる数の移民受け入れ」を考えるとなると、数十年、もしくはそれ以上ををかけて数百~数千万人に移住してもらう、といったスケールになると思います。

しかしここで問題が出てきます。日本の経済規模を維持するためには長い時間をかけて数百~数千万人といった規模の移民受け入れが必要であるとしても、はたしてそこまで大量の人が日本に来てくれるのでしょうか。

「移民受け入れ」を考えるときに、どうも結構多くの人が「移民は買い手市場」みたいなイメージをしている気がするんですよね。「中国や東南アジアの国々には、よい暮らしを求めて日本に移住したい人たちがたくさんいるはずだ。彼らを呼び寄せて、人手不足である介護や農業をやってもらえばいいんじゃないか」といった感じで考えている人が少なくない気がします。

くだけた言い方をすると「日本がブラック企業みたいな国だとしても、中国や東南アジアには貧しい地域がたくさんあって、そこには日本で働きたいと思っている人がたくさんいるだろう。相対的に高賃金の日本で労働することは彼らとって魅力的だろうから、そんなに待遇を良くしなくても求人をかければ殺到するんじゃないの」みたいな「買い手市場」的発想を、わりと少なくない人が無意識に持っているんじゃないかと。

しかしわたしはこのポイントにおいては楽観的ではありません。「はたしてこの世界に、衰退に向かう日本にわざわざ移住してくれる人たちが、そこまでたくさん(日本の人口減少の補填要員となるくらいの規模で)存在するのだろうか」と疑問に思っています。

なぜかというと、今世紀中盤以降は、アフリカ地域では依然人口爆発が継続するものの、アジア地域については人口が急激に減少するだろうと予測されているためです。

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引用元:Africa's population explosion will change humanity - Business Insider

(グラフは『国連人口予測 2015年版』をもとに作成したものとのこと)

現代の「世界の工場」で、最大の人口を誇る国家である中国も、まもなく急激な人口減少を迎えるだろうと予測されています。

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引用元:【人口急減社会】中国、23年から人口減 日本と世界経済に影響 労働力は3年連続縮小 : 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース)

こういったことから、わたしは「これから世界的な移民の争奪戦が始まるのではないか」ということを予想しています。

特に人口減少とあわせて社会の高齢化が急激に進むと思われる東アジアでは、介護士や看護士の獲得をめぐって熾烈な争いが始まる可能性があるでしょうし、世界一の高齢化社会をかかえる日本も「参戦」せざるを得なくなることでしょう。「唯一人口増加を続けるアフリカからの受け入れはどうか」という意見もあるでしょうが、東アジアと違って成長過程にあり労働力が必要なアフリカから貴重な専門職従事者を連れてくることは、「先進国による労働力の収奪」になる場合もあり得るでしょう。

このような将来予測を鑑みると、「悪い待遇を提示したとしても、まだ日本は魅力的な国のはずだから結構な数の人たちが働きに来てくれるだろう」などといった「買い手市場」的な発想は極めて甘く感じます(そもそも、外国人労働者に出身国との経済格差につけこんで、日本人労働者にはありえないような条件を提示するという発想自体が倫理的に大問題なわけですが)。

移民を「新しい日本国のメンバー」として迎える

これから熾烈な「移民争奪戦」が行われるだろうという予測を前提とするならば、移民の受け入れについては日本はただでさえ多くのハンデを負っている国です。世界一の超高齢化社会で、経済は長く停滞し、国民のほとんどが日本語しか話せず、外国人労働者を極めて劣悪な環境のもとに使い捨てにしてきたのが日本国です。「移民獲得合戦」のなか、ここまでネガティヴな要素ばかりの国をわざわざ選んでくれる移民希望者が、どれほどいるのでしょうか。もっとよい条件の受け入れ国も出てきそうなのに。

ここから先はこのブログで繰り返しうったえてきたことと重複しますが、大事なことなのでもういちど整理して書きます。まず、政財界が想定している移民政策や、多くの国民のイメージする移民受け入れは、「外国人労働者を受け入れて、人手不足の産業に従事してもらおう」というものだと思っています。ここには「途上国の人たちは、日本人がやりたがらないような仕事でも働いてくれるだろう」といった意識が見え隠れします。しかし先に述べたように、今後「移民の獲得合戦」が始まった場合は、そのような「搾取対象としての外国人労働者」といった発想は成立しなくなるのではないでしょうか(何度も言うように、そもそも倫理的・人道的に問題がありすぎです。いまだに見過ごされていますが)。

そうではなく、「海外から日本に来てくれる人たちを、新しい日本国のメンバーとして、従来の日本国民と対等の仲間として迎え入れる」ことが必要なのではないでしょうか。従来よりもずっと容易に日本国籍を取得できるように条件を大幅に緩和し、政治に参加してもらい、日本の政策決定にも、従来の日本国民と同じ条件のもとに積極的に参加してもらう。そういったことが必要になってくるのではないでしょうか。

「移民を新しい日本国のメンバーとして迎えます」と、口で言うだけなら簡単ですが、実際には日本社会を根底から大改造することが必要になってくることでしょう。日本の社会制度は「日本に住む人のほとんどが日本人である」ことを前提に設計されていますから、これらを根本的に見直していく必要がでてくるはずです。「入ってくる人を対等なメンバーとして迎える」わけですから、従来の日本国民の側が、新メンバーに対して「大幅に譲歩する」ことが求められるでしょう。

根本的な見直しが必要であろう膨大な社会制度のなかから一例をあげるとすると、まずは公用語についてはどうしましょうか。日本国の(事実上の)公用語は日本語ですが、他民族国家の道を歩むのならば変更の必要性も出てくるでしょう。英語に統一するのか、または日本語を含む複数の言語を公用語とするか。公用語を複数とする場合、国会や地方議会は何語でおこなうのか。学校教育は何か国語で行うのか。公立図書館には何か国語の本を置くべきか。こういった問題が出てきます。

天皇制についても根本的な再検討が必要になるでしょう。もしも「どの民族も対等に扱われる他民族国家・多文化共生国家」を目指すとしたら、「国民の象徴が永久に特定の民族で占められる」という制度ははたして妥当なのか、といった議論が不可避なはずです。

もしも「公用語をどうしたらいいかなんて考えたこともなかった。とうぜん日本にわたって来る側が日本語を習得するものだ思っていた」「天皇制の是非なんかに波及するとは思っていなかった」ということならば、それは最初から「日本に新たなメンバーを迎える」という発想ではなく、入ってくる外国人の側が日本に同化してくれることを前提にしていたということになるでしょう。

そういった意識改革なしに「単なる労働力」「ただの人手不足の業界の補填要員」としての移民政策を推進するのならば、日本に来てくれる人を「人口減少を抑えるレベル」では確保できない可能性がありますし、それでも来てくれた人がいたとしても数十年後に「日本国民より一つ下の階級の集団」が国内に生まれてしまうだけです。いまの政権や財界の思惑にそったままで移民政策を進めれば、そういった方向に向かってしまう可能性が高いと思います。

「日本は日本人の国だ。外国人を受け入れるとしても、あくまで日本の主役は日本人であるべきだ。入ってくる外国人の側が日本のルールやしきたりに合わせるべきだ。それができないんだったら、外国人は来てくれなくてかまわない」という考え方もあるでしょう。しかし、その場合には日本は人口減少を受け入れて衰亡の道を歩むしかありません。閉ざされた国を選ぶ代償に、ひたすら経済が縮小し、社会は高齢化し、国民は貧しくなることを耐え忍ぶしか方法がないでしょう。いま、日本国は重大な岐路に立たされています。